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クラスチェンジを求めて

人によっては鬱トーク閲覧注意。あと基本的に意味不明。今日は独り言を垂らしながら、思考を可視化。





自分の思考とか能力に行き詰まりを感じてる。というか実際のところ、今まで使ってきた手段をひとつ、身体を潰しながら生きながらえる、が、使えなくなってしまったので、代替となる方法を模索しているところ。

早速話が逸れるけど、ストレスに晒されると影響を受ける場所って、人によって違うとおもう。わたしはメンタル(思考力)を維持するために割と身体を生贄にしてきたから、身体に関しては晒されるっつーか自ら差し出してきた感がかなり強くて、それに対する抵抗もほっとんどない。勇敢といえば見栄えも聞こえもいいけど、よく知っている人から見れば無謀だったり自棄だったりするんだろーなー。

まぁつまるところ、至上命題は、身体を酷使するなってことなんだけど。

無理をさせれば動くしパフォーマンスもそこそこなことに味を占めているのか、少し余裕のあるところで止めるのが下手。
自分で自分のメンテナンスする方法も試してはみるけれど、そこに至るまでにとてもエネルギーがいるレベル。それでも少しずつ改善はしてるんだけど。これはほんとにわたしえらいって思ってる。

わかりやすい成果を出すことはさほど難しくないのに、自分の身体に余裕を持たせたり、万が一に備えたりは苦手。なんだか引け目を感じてしまうのよね。

ここからはメンタリティーの問題だけど、わたしひとりの生命が世界中から見たら些細でどうでもいいという事実が、わたしの生命がわたし自身どうでもいいこととイコールになってしまっているのがいけないんだとおもう。
でもわたしはわたしの主観でしか生きられないから、たぶん、その認識のズレに苦しんでいる。些細でどうでもいいなら、好きに過ごせばいいはずなのに、わたしの認識は自棄に向かう。
その延長なのか、晴れやかな気分を享受したり、軽やかな心持ちになったり、ってのが苦手。本当はあたたかな気持ちを受け取りたいのに、貸しを作るのが怖くもある。

別に生きるのは罪じゃないのに、贖罪してる気分。いつも自分を試してる。
自罰的過ぎたり、一番身近な夫が化け物スペックだったり、理由は色々ありそうだけど。

自分を肯定することの難しさ。これ以上身体を潰してまで賭すものなんてないと、言い聞かせられないでいる。それさえしょうがないと言いたい気持ちを堪えて、向き合うのは面倒だ。

ま、がんばろ。いや、がんばらない。
えーと……まずは恥を忍んで夫に協力を仰ぐところからかな。実は自尊心の低さは、3日前に指摘されたばかりなんだ。
2015年02月27日 | Comments(0) | Trackback(0) | 携帯電話から
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