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やらないんじゃなくて、できない。

今までのわたしの頑張りと成果は、過剰な心身の疲弊を代償に生み出されたものだったんだなぁ。と、家に居るようになってから気づく。希望を見出さないなら将来の何かに賭す必要もないのにねぇ。まったくバカな話だ。今もまだ疲れているし、燻りは抜けない。

わたし自身に、特定の何かに対する天性の才能や情熱は、ない。勉学にしろ、芸術にしろ。だからこそ自分自身を削いで生き延びるしかなかったし、それでいよいよ壊れかけたところを夫と自分の貯金に救われたんだけど(だから貯金は意味があると思う)。

まあわたしは上述のように並外れた努力もできないし、一発逆転の才能もないし(後生開花もしなさそうだし)、かといって無謀に突っ込む度胸もないし、何かを盲信できるほどおめでたくもない(と自分では思っている)。※ただ単に疲れてる説はありえる。このご時世、まともに生存するには、非常に中途半端な人間なのである。第一そんな努力、生きられなくもないが死ににいくようなものだ。そうまでして真っ当に生存したくない。

懸命に何かに励むことと、それが生きやすさという形で見返りになるかは別の話だと思うのね。いろーんな広告あるけど、それに踊らされて何も得られないなら、いっそ何も生み出さないことが自衛策なんじゃないかなー。わたしはここで死んでもいいから停滞させてくれって思う。

いまは、あんまり色んなものを見ないようにしてる。新聞も雑誌もネットニュースも。それでも本当にエネルギーが枯渇していて、二人分の家事をきちんとこなしたら、それなりにメンタル消耗する。本当はわたしの実力はこんなもんだったのかもしれない。でも、不思議とそれが嫌ではない。技術を精神力に合わせると、荷が下りる。

もう自分に鞭を打たなくていい。あちこちを痛めつけながら誰かの言った「立派」を目指さなくていい。期待に応えなくていい。いつ死ぬかは自分で選んでいい。所詮この程度だからね。

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2014年07月29日 | Comments(0) | Trackback(0) | 雑記
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