スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--年--月--日 | スポンサー広告

ちっぽけな気づき。

昨日の続き。

わたしが喜んでいると嬉しいなら、
同じように、哀しいんでいたら哀しいはずなのに。
如何して、一緒に考えてくれるのかなんて、
想像したこともなかったけれど、
少しずつわかるようになってきた。

けれど、彼に出会わなければ気づくこともなかったんだろう。
わたしだって、同じような気持ちをいろんな人に抱いていたのに。

「少しでも安心して、元気になってくれますように」

もしかしたら、これまで何人も、
わたしにそんな想いを抱き続けてきてくれたのかもしれない。
きっとわたしの父と母は、あるいは他の人も、
今だって、心のどこかでわたしの幸せを願っていてくれる。

わたしが傷つくことを、苦しむことを、
他人事だと思えない人がいるって知ってから、
初めて、生きていてもいいと赦して貰えた気がした。

それまで、どれだけ心身を削っても、
これはわたしの選んだことだからと、
痛くてもしんどくても泣いても耐えてきた。

自分の痩せ細る四肢さえ他人事のように眺めて、
潰えたらそれまでと、生贄のように思っていた。
大切な人に幸せになってほしい、の大切な部分に、
自分の名前が挙がることなんて、ないだろうと。

けれど恋人は、わたしの眠る姿を見ると幸せだと言った。

言葉を借りるなら、
「わたしの幸せは、いつだって願われている」
たったそれだけのことなんだけど、わたしには大きすぎて、
こんなに真っ当に育てられてきたのに、
そうだと気づけたのは、成人してからだった。

*

わたしは想う気持ちが強いみたいで、
良くも悪くも、感情を言葉で零している。
いつも必死で不安で、落ち着かない。

だから幼い頃は、愛される自分を想像することもできなかった。
何かを受け取る、大切にしてもらえる、穏やかに眠る自分を。

*

少しずつ変わり始めている。
救われたというのとは少し違うけれど、
本当に疲れたら、支えてくれる人が居ることを知った。
そういうひとたちが、わたしの周りに沢山居ることを知った。



人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
blogram投票ボタン
2012年08月19日 | Comments(0) | Trackback(0) | 恋愛のこと
コメント

管理者だけに表示する

Calendar

List

Profile

Mail Form

Link

Counter

Ranking

Search

Al potal

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。